続いて光 いくつもの

内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

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この人の本、だいぶ面白い。私が思っていたけど言葉に出来なかったことを書いてくれていて、ああそういうことだよなってなる。

 

他の著作も読んでいる最中なのだけど、取り急ぎ書いてみた。

 

私がずっと考えてきたことの一つは、自然に戻りたいということだったよう。それは森とか川の自然というよりは、私にとっての自然。自然体の、あるがままの私に戻りたいということ。

向上心とも自傷行為とも取れるようなエネルギーで、あるがままの私を離れた大学時代。そこから帰ってきたと思ったけど、まだ帰りきらない所もあったみたい。

 

土着的な信仰のある世界に、私は生まれたのだと思う。京都の中心地で、「ご先祖さま」みたいな考えが比較的濃い家庭に生まれた。

時勢の問題もあり、私個人の問題もあり、そこから離れてきた。だから、土着的な信仰の世界が恋しいのだと思う。

 

私にとってのあるがままが、生まれた場所とは限らない。その場所から離れて、でもその場所に足をつけて。別の場所にも私にとっての「土着」を見いだして。私が最もあるがままでいられる時間・空間のバランスを取っていく。

いったん、だんだんそれは叶いつつある。仕事や生活の面では最近バランスが良い。これからも調節しながら、ちょうど良く変化させていきたい。

 

本来の日本人の暮らしがどうであり、近代化でどう変わったか。そのギャップがどのように顕在化し、私たちの生きづらさ、何かがおかしいというズレの感覚に繋がっているか。それを分かりやすく論じる内山節の本を、もう少し腑に落ちるまで読んでいく。

たぶん私は、古い共同体の感覚を根強く持っている。現代の社会への根本的な不信感がある。それを元にこれからの人々の暮らしも考えたい。