続いて光 いくつもの

トーマス・マン『トニオクレーガー』

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最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬーーこの素朴でしかも切ない教えを、彼の十四歳の魂は、もはや人生から受け取っていた。そして彼の性質として、こうした経験をよく覚え込んでーーいわば心に書き留めておいて、そのうえ多少それを楽しんでいるのだった。もちろん自分自身としては、その経験で身を律したり、その中から実際的な利益を引き出したりすることはないのだが。

 

序盤に出てくる、たぶん有名な箇所。前半の「最も多く〜」が岩波文庫版の作品紹介にも引用されているが、私に刺さるのは後半の「いわば心に書き留めておいて〜」の方だ。

 

23歳のとき、それまで4年以上好きだった人と久しぶりに飲みに行った。何もなく帰宅して、たしか夜中に家を出て御所に走っていった。暗い御所の広い砂利道で空を見上げていると、頭が速い速度で回りだした。俺は今日、何をしたか。今日、何を考えていたか。たぶん論理的に考えていった。そして、俺は今日、〇〇(好きだった人)が、やっぱりあなたのことが好きだから付き合って欲しいとか、言ってくれることをただ待っていたんだな、と認識した。そして後日、自分はただ世界の成り行きを待つのみで、自分からは何もしようとしてこなかったのではないかと、そういう考えの象徴として御所の夜が記憶に残ることになった。大袈裟な下らないことに思われそうだが、この認識は私にとって青天の霹靂のようなものだった。

 

結局、思いついた考えを自分の人生に適用することが多少でもできるようになったのは、最近のことだと思う。御所の夜のころは大学生だった。卒業後の2年8ヶ月は、おそらく元々長く続けるつもりがなかったようにも思われる、やりたいことではない正社員の仕事をし、でも生活が保障されていたわけだ。そういう環境下では私のような甘えた人間は、考えは考えのままにして気持ちよくなっているしかなかった。フリーターになり、なんとか日々を乗り越えており、自分の人生を歩んでいるという感が強い。そうなると、考えを自分の人生に適用し、実際の利益を引き出すことをするようになってきた。

 

このあたりの個人的な自立の感覚はやっぱり、薄井ゆうじ「飼育する少年」に近い。マンの作品は、どことなく惹かれるものがあり、実際とても共感する文章がいくつか出てくる。一方で、ここは私とは違うな、という部分も必ず出てくる。それは当然のことなのかもしれないし、あるいはマンが実際家的な芸術家であったことに対する、私の芸術家的な実際家の立場によるのかもしれない。

 

考えを自分の人生に適用するようになった具体的な最近の事例について、また書けたらと思う。最後にここでは、作家によって、いくつかの作品を読みたくなる作家と、ひとつふたつの作品で完結させたくなる作家がいるなあと思ったので、その理由はわからないのでとりあえず列挙しておく。

 

<いくつか読みたくなった作家>

薄井ゆうじ

小川国夫

トーマス・マン

 

<ひとつふたつで完結させたくなった作家>

清岡卓行アカシヤの大連

中上健次枯木灘

フィツジェラルド『グレートギャツビー』『金持ちの御曹司』

宮内勝典『南風』『グリニッジの光りを離れて』

行成薫『名も無き世界のエンドロール』