遠野遥『破局』
「読みやすく」て「クオリティが高い」純文学?として、近年稀に見る作品ではないかと思う。
特に深く考え込まなければ、本当にすらすら読めてしまう。
そういう読み方をしても、普通に面白く読める。
私が思う「クオリティが高い」には以下のような要素がありそうだ。
思いが込められているか、命がけで書かれているか、真剣に書かれているか、どれだけのエネルギーが注がれているか。
要は、こうやって書いたら売れるだろう、みたいに書かれたらしき外見だけの作品が嫌いだ。
イマを生きる人間が作る作品というのは、必要なんだ、と感じたのはこの小説を読んだ時だった。
ドストエフスキーとかジョイスが文庫になっているのに、それを超えられない新しい作品が書かれる意味あるのか?と少し疑っていた。
『破局』にはことさら現代的なモチーフが多用されてるとは思わない。
でも今を生きる人間が読めば、なんとなくこれは今の小説だと感じる。
今の人間にとって、この本にはドストエフスキーにはない読書の楽しみが込められていると思った。
同時代の、これから本を出していくだろうお気に入りの作家がいるということも、とても楽しいことだと思った。
自分なりに作った何かが、意味を持つかもしれない。
少なくとも時間と場所を限定すれば。
まあ意味なんて無くてもいいのだけれど。
主人公は人々の視線を気にしている。
倫理を守るのだと思ってそうだけど、どこか自分の中に芯がなくて、何をするかわからない所がある。
どことなく普遍的で、どことなく現代的なのである。