太宰治『人間失格』②
どうにも忘れられない一節がある。
「たとえばって、あなた自身、これからどうする気なんです」
「働いたほうが、いいんですか?」
「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」
「だって、学校へはいるといったって、……」
「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です」
お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、ただ五里霧中でした。
これだけ読んでもあまり分からないけど、このあたりの部分。
主人公の反応に、言い知れぬ共感を覚える人が一定数いるだろう。
人間には非合理的な側面がある。
なんとなくの空気を読み取ったり、相手がコレを言えば気持ちよく納得するだろうことを工夫して言ったり。
あまりに純粋で、理にかなった人間でありたいと思うような人が、社会の美しくない側面に打ちのめされる。
「いい子」と言われるような人ほど、社会の空しさを感じるようになり、自分を痛めつけることでせめて気を紛らす。
「美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される」
清濁合わせ飲んでいた方がいい。
シェイクスピア『ハムレット』と同様、「この本は私のために書かれた、この主人公は私自身だ」と感じるファンを持つ作品らしい。
共通しているのは、主人公が演技をしていることかなと思う。
主観から見ると、まわりの人間はみな世界に溶け込んでいて、自分だけが世界に溶け込めずにせこせこと演技をしている。そんな風に思いがちなんだろう。