続いて光 いくつもの

日野啓三「天窓のあるガレージ」

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私は主人公の少年に、自分と近いものを感じて、おそらくこの短編が好きだ。俗物でありながら俗なものを忌避して、日常に「何か」が起こればと、「あちら側」の美を優先して暮らす。そして「何か」の発生を感じるとき、それは内部から起こっているのだ。具体的に何が起こったのかは重要ではなく、ただそこには今まで感じた事のない力がある。少年にとっての「目的地」がどのようなものであったか、私は近い実体験として知っている気がする。その感覚は、好きな小説「飼育する少年」にも一部共通しており、おそらく私にとって重要な感覚なのだ。

 

少年は覚醒体験のようなものを味わう。「少年の体を争いようもない強い力で捉えて、一緒に床に崩れようとする。体の芯まで溶かされそうなその力に、一瞬、少年はこれまで経験したことのないめまいと陶酔を覚えた」→「晴れ晴れと澄んだ気持と、温く抱きかかえられるようなやさしい思いとが溶け合って、体じゅうをみたし始める」

私が体験した感覚と同じである。

 

 

①少年と父親

少年と父親が、似てる。ふたりとも世俗的で平凡なものを嫌い、「あちら側」に惹かれるような、危なっかしい美意識みたいなものを持っている。

父親はアウシュビッツポルポト政権の虐殺に強い興味を持っていて、「地面を這いまわる乗りものなんて」と自動車を軽蔑している。

少年は大事故に巻き込まれて、車がぐるぐる回転して命の危険がある中で、体の芯を貫くほど強くて美しい光を感じる。

それでいて、ふたりとも結構俗物でもある。父親は大きな会社のサラリーマンだし、少年もキンピラゴボウが食べたいと急に思う普通の感性をしている。自分の中に含まれているからこそ、俗っぽいものに抗いたいという面もあるのだろう。この親あってこの子ありという感じだ。

 

②ガレージの位置

少年が引き籠るガレージは、屋根が母屋の一階の床と同じ高さ、つまり家族が暮らしている所からすると地下にある。これは結構大事かなと思う。うまく説明できないけど、少年が引き籠って「あちら側」の真理を目指すには、適した舞台設定に思える。

 

 

2022/02/18追記

なんだか詰まらない気分だった。Sunday Serviceを聴いて(それは直近の、自立しない無茶苦茶な依存がどれほどの惨めな出来事を起こすかという戒めになった恋愛に、関係する曲だ)、ふと天窓のあるガレージが読みたくなった。めちゃくちゃおもしろかった。

あくまで主体の側でいようとしている。でも夢も、非合理もやはり必要なのだ。結婚するなら自分の部屋にいる間は入ってこないようにしてもらえばいいか。それだけでこの、神聖な時間は守られる。それは冷静に考えれば、ごくたまにしかない時間なのだから。おそらくただそれだけの、それくらいのことなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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