続いて光 いくつもの

精読・『飼育する少年』①

勉強用メモです。一部、片桐淳『開成中学入試問題の実況中継国語』、廣野由美子『批評理論入門』、佐藤正午『小説の読み書き』を参考にしている。

 

 

「塾を出て家路につくころは、もう星が出ていた。」

・この文章を普通の人が書こうとすると、おそらく「塾を出て家路につく頃には、もう星が出ていた。」となる。小説の読者はたいてい声に出して読む(音読)のでなく、目で文章を追う(黙読)。それを前提に、小説の文章は綿密に練り上げられる。川端康成『雪国』の書き出しを答えるとき、多くの人が「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった」と答えたとどこかで見た覚えがある。正しくは「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」である。

・「ころ」が平仮名なのも、作者の工夫だろう。小中学生を主人公とした、小説の雰囲気との整合性、あるいは文章の読みやすさが理由だろうか。

 

「ビルの谷間に見える星は、ぼんやりとした光を放っている。星がきれいだなんて思ったことは一度もない。」

・マイナスの描写が続くことに注目。また、夜の場面から小説が始まっている。この小説は終わりも夜の場面であり、全体として「夜の小説」という感じがする。昼間を舞台に、プラスの描写でわいわい快活に、という小説ではない。

 

「――ネオンのほうが、きれいだよな。マウンテンバイクをこぎながら少年はそう思った。こんな薄汚れた街は好きになれない。」

・「――」による少年の心の声も、多用される。外部の誰かと会話するのでない心の声の多用が、内向的で孤独な世界観を強調している。

・三人称視点の小説である。語り手が未熟なティーンエイジャーだと、その理解力や表現力に限界があるため、語りが不安定になる(「信頼できない語り手」とも呼ばれる。現実を歪めたり隠したりする人間の本性を表現するために、意図的に用いられることがある)。内向的なストーリーを「僕は~」と一人称で語ると、自意識過剰なじめじめとした雰囲気になる懸念もあったかもしれない。

 

「いま塾、終わった。何か買っていくものない。父さん、帰ってる?それだけを短く言うと、少年は受話器を置いた。」

・母親との会話は直接描かれず、内容も「それだけを短く」とある。やはり孤独な雰囲気が強い。

 

「声は、コンビニエンスストアとカラオケハウスに挟まれた狭い路地から聞こえてくる。近寄ってみると、暗がりに段ボール箱がひとつ置かれていた。」

・寒い夜に、暗がりに子犬が置き去りにされている訳だが、これは少年自身の暗喩であり、少年が置かれている孤独な立場が、子犬の姿を通して印象付けられる。「まるで少年自身のように、暗がりに段ボール箱がひとつ置かれていた」なら直喩(明喩)。「まるで」「のように」といった比喩表現を使わずに、あることを示すために別の物を用い、それらの共通性を暗示するのが隠喩(暗喩、メタファー)。

 

「少年は段ボール箱に近寄ろうとして思いとどまり、両手で耳をふさいだ。――あのなかには、見てはいけないものが入っている。そのままマウンテンバイクにまたがると、逃げるようにして家路を急いだ。」

・やはり暗めの描写が続く。少年は「犬を飼いたい」という願望を必死に押し殺している。「自分の願望を押し殺す」という少年の性格は後の場面にも繰り返され、それをどう克服していくかが小説全体の主題(テーマ)となっている。

 

「エレベーターに乗って六階のボタンを押したとき、さっきの声が耳によみがえった。暖かい、小さな声だった。」

・初めてプラスの描写が現れる。後の場面ではキリンが「暖かい、やわらかな感触」と描写されるが、小説全体がマイナスイメージで満たされているため、これらのプラス描写が際立つ。少年の、子犬やキリンに対する思慕の気持ちがよく伝わる。

 

「「ねえ、父さん」遅い夕食をひとりで済ませたあと、少年は決心したように言った。父親はビールを飲みながらテレビを観ている。」

団地の六階の部屋で、父親がビールを飲みながらテレビを見て、少年の話にめんどうくさそうに答える。イメージしやすい、単純ながらも90年代的リアリティのある設定である。

・この小説は中央で折り返したような、線対称的な構造になっている。夜の場面で始まり、夜の場面で終わる。終盤にも「ねえ、父さん」と語りかける場面が同じように用意されている。同じ場面を舞台とすることで、「変化した部分」が際立つ。具体的には、序盤は捨てられた子犬(小さく、弱いイメージ)が暗がりにいるが、終盤は給水塔のシルエット(高く、真っ直ぐに立つイメージ)が暗がりにある。父親への受け答えも変化しているし、都会の星に対する少年の感想も変化する。「少年の成長(変化)・自立」が読者に伝わるように、工夫された構造である。

 

「あのな、ここは団地だろう、そういうものは飼えないんだ、何度言ったらわかる。父親は、動物を飼いたいと言うと決まって返してくる科白を繰り返した。そんなこと、もう何度も聞いた。(中略)部屋のなかが汚れる、だれがめんどうをみるんだ、えさ代がたいへんだ。聞き飽きた言葉が返ってくる。もういいよ。」

・同義・類義の表現が繰り返される(決まって返してくる科白・もう何度も聞いた・聞き飽きた言葉)。同じような言葉を、少年は何度も聞かされうんざりしているのだろう。父親の言葉に、会話を表すカギ括弧がついていないのも、少年にとって聞くまでもない決まり文句だったからである。

 

 

 

 

とりあえずこの辺で。