続いて光 いくつもの

中島敦『悟浄出世』

f:id:kokumura01:20201004065953p:image

 

中島敦といえば『山月記』が有名だが、『李陵』や『狐憑』そして『悟浄出世』も面白い。

 

悟浄出世』は、実存の不安・アイデンティティクライシスといったものを、パロディチックに描いている。

近代と呼ばれるもの以前は、農家の子は農家であり、人間がどこから来て、どこへ行くのかも決められていたみたいだ。

ところが人間が自由になって、不安が付き物になった。

「自分は何者なのか」という本質が前もって与えられない。あなたは農家の子だから農家です、と決めておいてくれない。

実存とは、「現実存在」の略である。私たちは現実存在(existence)として生み落とされ、不安に耐えながら、自分の本質を自分で作り上げていく。

これがサルトルの言う「実存は本質に先立つ」や「人間は自由の刑に処せられている」の意味である。

 

 

 

そういえば長野の美術館に行ったとき、漢詩とその翻訳が展示されていて、面白かった。

漢詩というのもそのうち読んでみたい。中島敦は漢文の素養があり、それが独特の文体とリズム、中島敦作品の魅力を生み出している。

余談だが森鴎外舞姫』は漢文の読み下しのような文章や、平安時代のような和文など、色々な文体をひとつの小説中で用いた異色の作品である。

前者は「げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず」とか、中島敦も書きそうな文章に。

後者は「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」とか、高校古文で出てきそうな文章に。