薄井ゆうじ『ドードー鳥の飼育』
「あなたがドードー鳥の飼育係に選出されました。おめでとうございます」
見えないドードー鳥の飼育係をやっているうちに、主人公にはドードー鳥が見える気がしてくる。
不条理小説、というものを集めた短編集らしい。『ドードー鳥の飼育』も軽妙でなんか面白いが、『無人駅長』『眠れない街』が私の好きな薄井ゆうじらしさが出ていてよかった。
薄井ゆうじの小説は、登場人物が一歩を踏み出すストーリーが多い。
一歩を踏み出すことへの心理的コストが高い人、というのが存在すると思っている。繊細だったり、変えたくない大切なものを自覚しているからだったり。
辛い経験があって、それを乗り越えて一歩を踏み出そう!みたいなストーリーにおいて、その人物がある特定の繊細さや弱さや理由を持っていないと、私はうまく感情移入が出来ない。
どんな人間の「一歩」も、ふつうは等しく「一歩」とみなされる。比較的「強い」と思われる人間だって、同じように苦労をして一歩を踏み出すのだから、それは当然とも思う。「弱い」人間の一歩を、贔屓して評価してくれ、と世間に主張することは出来ない。
しかし私は、繊細な人間の踏み出す一歩を特別に贔屓したいと思っているようだ。「私は繊細なんです!評価してください!」と自分から主張してくるような人間はたぶん違う。説明できないけど、私なりの尺度がある。それはまあ、私自身の繊細さの度合いと種類なのかもしれない。私自身がこれまで小さいけど一歩を踏み出したな、と思う事柄について、自分だけでも高く評価しておいてあげたいのか。
薄井ゆうじの小説の登場人物は、その尺度にぴたりとはまる。私の理解の及ばぬ繊細さ(?)でもない、普遍的でありながら応援したくなる人物が多い。
薄井ゆうじは「逸脱できない」人物を描くことが多い。その人物が、読者によっては「もうちょいいけるやろ」と思っても仕方がないくらいの、小さな一歩を踏み出して、物語が終わったりする。何なら踏み出さない場合もある。
薄井ゆうじは優しい。あんまり大きな一歩を強要して来ない。それが私の弱さを受け入れてくれるようで、おそらく他の愛読者も同じような受け入れられた気持ちで、いつしか好きになっていくのだ。
<余談>
私はわざと分かりにくく文章を書くような癖があるのかもしれない。自分の中でまとまらないものを投げ付けるんじゃなくて、意図を持った文章を書きたいなと思う。この記事はどうだろう。