続いて光 いくつもの

孤独について

しばらく本を読む量が減っていた。あるいは読んでも、感想を言葉にするということが出来なかった。どうしてなのだろう。私の意識や無意識は1日毎に反応するのではなく、数週間や数ヶ月、あるいは数年という単位でひとつの気分を作り上げていくものらしい。

段々とマンガを読むようになり、それも頻度が下がって昔のポケモンのゲームなんかをして余暇を過ごしていたのは、その分のエネルギーを現実のことに使いたかったからだ。仕事やボランティアや友人関係で、とても楽しく過ごせたようである。

 

さて、薄井ゆうじ『飼育する少年』について精読というのをやってみた。これはテクストを論理的に読み解いていくというか、全体の主題は〇〇でそれを伝えるためにこういう語り・構造になっているとか、この部分は全体のなかでこういう機能・役割を持っているとか、統一的な読みを形成していくものだと思う。これはこれで面白いのだが、あくまで小説をよりよく読むためのテクニックである。本当のところ、私がこの短い小説に何度も立ち返ってしまうのは、一つ一つの文章になんとも言えない共感や広がりを感じるからで、これは人間に対するのと同じなのだ。つまり仲良くなる人たちに共通点はあるのだが、中でも特に親しくしている人への感情を説明することは難しいし、別に説明しようとも思わない…。

 

(途中)