続いて光 いくつもの

薄井ゆうじ「飼育する少年」

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都会の団地に住む少年は、ある日空き地でキリンを発見し、誰にも内緒で飼うことを決心する。

 

この短編を読んだのは小学生の時。開成中学の過去問らしく、中学受験の国語の問題で読んだ。

何か惹かれるものがあって、タイトルと作者名を覚えていた。

 

いじめられて友達がおらず、父親は厳しく母親は単純でいまいち心が開けない……そんな少年を主人公にした孤独な小説世界は、基本的にプラスのない、無機質で冷たい描写の数々で肉付けされている。

背の低い少年は体育の授業を休み、みんなが走りまわるのを「じっと見ている」。

対照的に、動物に関する描写にはプラスの表現が使われる。子犬は「暖かい、小さな声」で鳴く。後に発見するキリンは「暖かい、やわらかな感触」をしている。

この対比によって、主人公である少年が動物に触れたときの、繊細な小さな喜びが読者に伝わる。

 

少年はキリンを発見する。

小柄なことを馬鹿にされて、いつか僕も背が高くなる、と夢見てきた少年は、何とかしてキリンを飼いたいと思う。

結末としては、親にも話さずキリンの飼育に没頭する少年を、周囲もいじめなくなっていく。星がきれいだなんて一度も思わなかった少年が、都会の星の美しさに気づく。

しかし……キリンは実際にいるわけではなく(思えば街中にキリンがいるはずはない)、少年の心の中だけの存在であることが仄めかされて終わる。

 

では、キリンとはいったい何なのか。結末部分に重要な段落がある。

「すでに僕はキリンを飼っている。そのことに親は気づかないかもしれない。いつかは気がつくのか、それともずっと気がつかないままなのかはわからない。だが僕は、自分からそのことを言ったりしてはいけないのだ」

キリンが何を象徴しているかは解釈の分かれるところで、性的な目覚めではないか、という意見も見たことがある。

薄井ゆうじという作家の作風からすれば、確かにあり得そうなのだが、私としては反対する。それなら親が「ずっと気がつかないまま」というのはおかしい気がするし、そもそもそんな風に特定の「何か」をキリンが象徴していると言い切ることに抵抗があるのだ。

 

キリンは少年にとっての夢(=背が高くなること)である。それに没頭しはじめることで周囲との折り合いをつけ(=いじめを克服する)、自分を変えていく(=都会の星がきれいだと気づく)手段であり出会いである。

抽象的なものでも、思い込みや錯覚に近いものだとしても、別に構わないではないか?

少年は実際に何かを始めたのだし、何かが起こって生まれ変わっている。

それが一個人の内面でのみの幻想にすぎないなら、始めたことにも変わったことにもならない、と感じる人にはこの小説は向かないかもしれない…現代はそういう風潮ではなかろうか。結果やアウトプットがすべてだよ、みたいな。

 

自分が大切にしたいと思ったものが、他人に理解されない、説明も上手くできない、というのは不安なことだ。

主人公の少年はきっと、独自の目で世界を見ていて、深い内面性を持っている。

少年の考えを、周囲はまるで理解していない。母親に「キリン、飼ったら怒る?」と訊ねるとぬいぐるみのこと? またクレーンゲームでもしたんでしょと言われる。木に登る少年を怪しんだ先生に「キリンの餌をとっているんです」と答えると、呆れたようにあしらわれる。

これは実社会の人々の反応である。作中での「キリンを飼う」のような突飛なことを言われると、まああまり触れないでおこう、という感じでむしろ避けてしまう。

 

「僕はキリンを飼っている」というのが誰にも理解されない抽象的なものであったならば、それには全く意味がないのか?

少年が都会の星のきれいさに気づいたのは、世の中の美しさに目を向けたことに等しい。親に言ったりしてはいけないというのは、自分の世界に責任を持とうとする少年の成長のようにも見える。

薄井ゆうじは別の本のあとがきで、こう述べている。

友達なんかいなくたっていいのだ、そして、ひとと同じでなくてもかまわないのだ。それさえ親や先生がしっかりと教えてあげれば、子供たちはもっと気が楽になって、追い詰められたりすることもなくなるんじゃないかと僕は思う。

25年前にこんなことを言っていた薄井ゆうじはすごい。

 

少年は自分だけの世界を持っている。それは繊細で壊れやすい、微妙なバランスの上にある抽象的なものかもしれない。しかし少年が「僕はキリンを飼っている」と自信をつけ、新しい一歩を踏み出したことには、大きな意味がある。

 

冒頭部分、暗がりにあったのは捨てられて鳴いている子犬だった(これは少年自身の暗喩になっている。子犬の存在が暗示的に、少年の孤独な立場を読者に伝えている)。それが結末部分では、暗がりにあるのはすっくと立っている(とは書いていないが)給水塔のシルエットである。

いずれ暗がりなのだが、そこにある存在のあり方は大きく変わっている。

そして「星がきれいだなんて思ったことは一度もない」少年が、「都会の星がこんなにきれいだなんて、いままで知らなかった」と思う。「僕はキリンを飼っている」と改めて実感し、「誰もいないひっそりとした屋上でひとり、長い時間、街を見下ろ」す。

 

 

 

22/02/04追記

今になって、この小説から次のようなメッセージを受け取っている。

「一人でも、世界に対して心は開ける」

こうするんだ、と決めた決意は、その裏にあるあまりに複雑すぎるすべては、誰とも共有できなくてもいい。

 

22/02/17追記

そしてもうひとつ大事なテーマは、「親からの自立」ということだ。

あまりに当たり前の下らないことに見えて、しかもあまりに自分にとって切実な問題であったために、それがある程度果たされた今になってようやく、こうして認識できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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