雨宮処凛『生き地獄天国』
ムチャクチャな自伝。
最近、小説よりも社会派な本を読んでるのだけど、世の中って良い人が沢山いるなあ。笑
なんだか人生ってどうにかなるんじゃないかと思えて来た。勇気が出てくる。
『この国の不寛容の果てに』という本では日本の研究者や医者、社会活動家の人たちのこと、当事者研究やオープンダイアローグといった手法のこと、対話や愛の重要性、ロスジェネ世代という自分の知らない上の世代の気持ちに思いを馳せること、沢山のことを考えさせてもらった。
熊谷晋一郎という人が需要の優位性について語っていた。
需要がないと供給に意味は無くなるんだから、人の「生産性」に目を向けるより、もっと助けてとかこうして欲しいとか、我慢せずに言っていいはずだということなんだけど。
私も「生産性」で評価されるとイマイチな、いわゆるクズとか怠惰とか言われがちな人間なので、自分に都合が良い意見というのもあり、そうだそうだと思う。
世の中には良い人が沢山いる。こんな私でも人や社会のために何かしたいと少し思ったりする。
ちなみに以前忙しい職場の時はそんなこと思う余裕なかった。今ホワイトな職場に移り、自分を大切にしてもらえると、その分を何かに還元していきたいと思える。
もし人間の仕事が減っていく未来なら、今仕事を頑張ってる人のエネルギーはどこへ行くのだろうとも思う。それこそ、〇〇をやって欲しいという需要を生み出せることは大きな価値になっていくのではないか。
まあ綺麗事なのは分かってる。今私の生活と心に余裕があるから、こんな単純なことが言えるのだ。
でもなんでこんなにみんな余裕がなくて、〇〇をして欲しいと言う側の人間が「自己責任」と責められるんだろ。
いくら良い人が居ても、人のエネルギーが余るようになっても、需要を主張する人が増えすぎたら立ち行かなくなるのかな?本当に困っている人の声が埋もれてしまったりするんだろうか。
そろそろもっと、性善説で回る世の中になれないのだろうか。
雨宮処凛という人は虐めやリストカットの経験、ビジュアル系バンドの追っかけから右翼活動と、紆余曲折経て作家・活動家をやっている。
『生き地獄天国』という自伝では25歳までの半生が書かれていて、結構刺激的だった。
あと文章から伝わってくるものと、自作の人形の写真が載ってるんだけどそれとか見てると、ふつうに天才的な人やなとも思う。芸術家としてなのか何なのか分からないけど、とにかく人を惹きつける何かを持っていた。
「新しい神様」という、右翼活動をしてた頃のドキュメンタリー映画も見た。
面白かった。右翼ってまあ怖いイメージで、彼女自身も色々ヤバい人ではあったんだけど、なんとなく私はこの人を信頼できるなと思ってる。
どんな経緯があろうと、(むしろそんな経緯があるからこそ?)常に自分自身を問いただして、安易な解決に安住しない。内向的で心優しい感じもする。
映画に出てくる人たちはみんな、不器用で癖があるけど真剣で、良いなあと思った。この人たち好きやなと思える良い映画だった。見たことのない世界を覗けるし。
偉大な人と比べるのもアレだけど、私も私なりに真面目で真剣で、得体の知れない正義感を持つ人間だったような気がする。
絶対に曲げられない理想を持っていた。
そのせいで損をしたり、人前で号泣したり、一万文字の日記を書く日々を送ったり、初恋を6年引きずったりした。
そんな自分の世界は一度壊れてしまった。
小説を読んで書いて自分と向き合って、周りの人に構ってもらって、やっと新しいものを立て直して来た。
謎の真剣さや正義感を、今でも性質として持ち続けていると思うのだ。
それをある程度器用に、上手いこと誰かのために使っていけるといいなと思う。
『生き地獄天国』リンク
『この国の不寛容の果てに』リンク
「新しい神様」リンク